壁面に隣り合わせに投影される2つの映像。1つは内装が解体され廃墟同然となった宮殿の内部の、かつて議会があった場所をスキャンするようにゆっくりと撮影した映像で、もう1つは宮殿の窓からベルリンの中心部を捉えた映像である。これらの2つの映像を同時に再生することで、急速に変化していく統一後のドイツの中でこの建物だけが、時間が止まってしまったかのような、一種の「宙吊り状態」にあるということを示している。
共和国宮殿
ベルリンの大通り「ウンター・デン・リンデン」沿いに存在していた多目的施設。
1976年に、第二次世界大戦で崩壊したベルリン王宮の跡地に建設され、内部のホールでは旧東ドイツ人民議会のほか、コンサートやテレビ番組の収録などがおこなわれていた。また宮殿にはホールの以外にも、ボウリング場などの娯楽施設や、レストラン、バーも併設しており、市民の間で高い人気を誇る憩いのスポットだった。
しかし、1990年のベルリンの壁崩壊直前に、内装に含まれているアスベストの有毒性から閉鎖が決定。その後、2003年まで内装の除去作業がおこなわれ、いつでも取り壊し可能な状態になった。東ドイツの象徴として残すべきだと主張する人々と、解体してベルリン王宮を再建するべきだと主張する人々との間で論争があったが、2年間イベント会場として利用された後、2006年に取り壊された。2012年現在、ベルリン王宮の再建に向けた工事がおこなわれている。