会場には坂本と高谷が2007年に発表したインスタレーション「LIFE — fluid, invisible, inaudible…」で用いられる9つの水槽がグリッド状に吊られている。それぞれに水が湛えられ、ときに人工的な霧で満たされる。その霧をスクリーンとして、この公演のために撮影された高谷史郎の映像が効果的に映しだされる。
これらの水槽と、舞台奥に設置されたスクリーン以外に大きな舞台セットはなく、能舞台も、客席と同じ高さの床面に照明によって現われる。さらに橋掛かりや、舞台の四方を囲む柱もワイヤーと照明によって表現され、客席から舞台奥までが見通せる特別なしつらえが準備されている。これは野村萬斎を中心に古典作品を上演するために必要な機能を抽出し、高谷とYCAMによって、工夫や演出を試みた結果である。
公演は2部構成に別れており、第1部では、狂言「田植」、舞囃子「賀茂 素働」、素囃子「猩々乱」といった古典演目が新しい演出によって上演される。これらの演目には、水や大気が田畑や雲、海洋へと変化していく様が描かれており、「LIFE — fluid, invisible, inaudible…」をはじめとする、坂本の作品において重要な要素とも共鳴し合っている。そして第2部「LIFE – WELL」では、能楽に影響を受けたアイルランドの詩人・劇作家であるW.B.イェイツの戯曲「鷹の井戸」や、さらにそこから生まれた能楽作品「鷹姫」が登場する。本作では、戯曲「鷹の井戸」と能「鷹姫」がシームレスに融合しており、前半では、野村萬斎による戯曲の朗読と、坂本龍一の即興演奏のセッションを展開し、後半からは能の世界に移行。朗読者の野村が現代服のまま能「鷹姫」の主人公・空賦麟(=クーフリン)を演じる。演目だけでなく、坂本と囃子方の即興的なセッションが象徴するように、能が橋渡しを担った東と西の文化を、現代人の私たちから見つめる新たな視点を提示する。
全演目を通してあるのは、私たちの祖先が持っていた超常的な存在を含む自然への親しみや驚嘆、そして畏敬の念である。さらに19世紀末から20世紀初めに書かれたイェイツ作品では、すでにそれを失いかけているが故に、強く求めてやまない人の姿が描かれており、こうしたさまざまな文化背景を持った芸術を行き来しながら、未来の歴史と環境への想像力を観るものに喚起する。
「鷹の井戸」と「鷹姫」
20世紀初頭にイェイツは、能の翻訳テクストに出会い、舞踊、詩、音楽が一体となって構成され、さらに超越的な存在の登場する能に魅せられていき、1916年に「鷹の井戸 (At the Hawk's Well) 」を上演するに至る。この「鷹の井戸」は能楽研究者・横道萬里雄によって実験的な新作能「鷹姫」(1967年)として上演されている。