1935年、東京生まれ。1958年頃から即興演奏を始め、1960年に小杉武久、水野修孝、塩見允枝子らとともに即興演奏集団〈グループ・音楽〉を結成、以降、音楽と美術の境界を超える活動を行う。ハイレッドセンターや暗黒舞踏派などとコラボレーションを行う他、美術、音楽雑誌等に多くの文章を発表。また、一柳慧を通じてジョージ・マチューナスを知り、フルクサスに合流する。日本の前衛芸術および前衛音楽に大きな影響を残し、1972年単独渡米。以降ニューヨークを拠点に活動し、ジョン・ケージやデイヴィッド・テュードアらとともに、フルクサス、マース・カニングハム舞踊団などのイヴェントにしばしば参加する。85年からはプリペアされたCDを用いたパフォーマンスを開始。90年代に入り作品がCDでリリースされるようになると、サウンド・アートやテクノ以降の電子音楽の文脈からも注目を集め、驚嘆をもって迎えられた。2001年に横浜トリエンナーレに出展、2002年には国際的なメディアアートの祭典「アルス・エレクトロニカ」においてデジタル・ミュージック部門のゴールデンニカ(グランプリ)賞を受賞している。 代表的な作品に、万葉集四千五百首あまりを構成する漢字を全てデジタル化された画像で表現し、それを音声データとして出力させる「Wounded Man'yo」のシリーズなどがある。音声メディアとテクノロジーを対象化する理論的な考察に支えられ、恣意的な操作を排除する方法によって音楽の外部へと超越する刀根康尚の芸術は、自己充足した作品への批判であると同時に即興への批判でもあり、音楽そのものの破壊的再生となっている。 1961年に「グループ・音楽」第1回公演「即興音楽と音響オブジェのコンサート」(草月アートセンター/東京)。この音と行為によるハプニングに、一柳慧、オノ・ヨーコ、高橋悠治らが共感を寄せ、彼らとのジャム・セッションにもつながる。刀根の個展としては、1962年に「刀根康尚〈作曲家の個展〉」(南画廊、東京)、1964年に内科画廊(東京)。渡米後では、1984年「グッド・モーニング・ミスター・オーウェル」(アメリカ、フランス、西ドイツ、韓国、日本で放映された現代アートと音楽による衛星中継番組)に参加。1986年にソロ・コンサート(エクスペリメンタル・インターメディア・ファウンデーション、ニューヨーク)。国際展への参加は、1986年「前衛の日本1910_1970」展(ポンピドー・センター、パリ)、1990年「第2回国際聴覚芸術祭」(ホイットニー・アメリカ美術館、ニューヨーク)、1994年「戦後日本の前衛美術」展(グッゲンハイム美術館ソーホー、ニューヨーク)など多数。著書には『現代芸術の位相』(1970年)がある。ソロ・アルバムには『ムジカ・イコノロゴス』(1993年)、『ソロ・フォー・ウーンディドCD』(1997年)、『ヤスナオ・トネ』(2003年)などがある。