1933年生まれ。1956年、東映京都撮影所に助監督として入所。1963年、「続・てなもんや三度笠」で脚本家としてデビューする。1965年、「大阪ど根性物語 どえらい奴」で監督デビュー。仁侠映画やアクション映画を手がけながら、「温泉みすず芸者」(1971年)などのポルノ路線の作品や「華麗なる追跡」(1975年)などの女性アクションものも手がける。また、藤純子主演のモ緋牡丹博徒シリーズ"(1968〜72年)や菅原文太主演の"トラック野郎シリーズ"(1975〜79年)など、東映の一時代を築く代表的な人気シリーズを生みだした。「コータローまかりとおる」(1984年)を最後に東映を去る。フリーとなった後も「堀の中のプレイ・ボール」(1987年/松竹)など娯楽に徹底した作品を作り続けながら、テレビの脚本も多く手がけている。