1974年から1980年まで大駱駝艦に在籍。1981年独立、舞踏塾「こころとからだの学校」を開設、82年グループ「葡萄弾」結成。以降、野外、倉庫、画廊など劇場外を中心に活動。
1992年代表作「HOT KEY」で舞台活動再開。国際交流基金派遣公演としてアメリカ、メキシコ、カナダツアーを行い、カンパニー名をUNO-MAN+COMPANYと改める。
また空間創造研究室「メタファクトリー」を開き、オブジェクトを自ら製作し舞台に登場させるなど踊りのみならず空間演出の重要性も同時に追求しつつ2000年まで海外を中心に活動。
現在山口市在住。病克服から3年、地方発を軸に活動を再開。