1957年生まれ。アルバニア出身の両親がアメリカへの旅券申請中にフランスで生まれる。カリン・ヴァネルのもとで学んだ後、80年代にニューヨークに渡り、マース・カニングハムのもとで学ぶ。フランスに帰国後、国立現代舞踊センターで研鑽を積む。84年にカンパニー・プレルジョカージュを結成、85年に『March_Noir(闇取引)』によりバニョレ国際コンクールで入賞。87年には能を学ぶために日本へも訪れている。カンパニーは95年にバレエ・プレルジョカージュと改称。常に時代を先取りし、バレエのレパートリー作品としてコンテンポラリーダンスの重要性にも着目、次々と作品を発表する。89年に芸術文化勲章シュヴァリエを受章。フランス・コンテンポラリーダンスの第一人者として活躍し、リヨン国立オペラ・バレエに『ロメオとジュリエット』(90年、ブノワ賞ダンス部門受賞)、パリ・オペラ座バレエに『ル・パルク(公園)』(94年)や『カサノヴァ』(98年)を振り付けているほか、93年に「バレエ・リュスへのオマージュ」と題し発表した『結婚』『パラード』『薔薇の精』のパリ初演は“輝ける成功”として大反響を呼び、世界各国で巡演された。また95年のシャトーバロン・フェスティバルではパスカル・キニャールの著作で、有名な悲劇ミュージカル『ラヌール』からのバレエ作品、97年のアビニョンフェスティバルでは『戦いの後の風景』を創っている。ヨーロッパのバレエ団のみならず97年にはニューヨーク・シティバレエから依頼されて『ラ・ストラヴァガンザ』を振り付けるなど、活動の場は多岐にわたる。独自の創作活動を展開しており、ヨーロッパの振付家の中でも国際的な評価の極めて高いアーティストの一人である。近年、潜在能力、総合的イメージ、ダンスの内破等の言葉が幅を利かせる時代に、振付的インスタレーション『PORTRAITS IN CORPORE(身体の中のポートレート)』(2000年)を創作したほか、ダンサーの身体とそのイメージの間に対話を成立させ、その延長線上で『MC14/22』『ヘリコプター』(2001年)が生まれている。