1934年生まれ。山口県出身。柳井高等学校卒業後、山口大学教育学部学校第一中等科(現・教育教員養成課程教科教育コース美術教育選修)に入学。在学中は学校教育について学び、中学校教諭一級普通免許状(美術・英語)ならびに高等学校教諭二級普通免許状(美術・英語)を取得。その傍ら、同級生や下級生とともに「視聴覚教育研究グループ」を結成し、映画やスライドなど当時の視聴覚教材を教育学、心理学、美学などの教育に活用するための方法について研究する。
大学卒業後は、教育の原点を探るべく僻地教育を志望し、上関町の八島小学校・中学校(現在は廃校)に赴任。その後、柳井市の柳井中学校を経て、山口市の山口大学教育学部附属山口中学校へと転任。それぞれ学級担任や美術の授業などを担当するほか、美術部やマラソン部など部活動の顧問も務める。またこの間、全国造形教育連盟など美術教育に関わる団体の事務局業務を並行しておこなう。
1973年に山口県立美術館の設立準備室に第1号のスタッフとして着任し、コンセプトづくりから建築家の選定、コレクションの選定まで担当する。その後、東京国立近代美術館での研修を経て、1979年の山口県立美術館開館から学芸課課長に着任(1989年から副館長を兼任)。地方の近代美術館のあるべき姿、より幅広い時代背景から捉えた山口の地域的特性をテーマに、展覧会企画をおこなう。主な担当企画に「大黄河文明の流れ―山東省文物展」(1986年)、「大英博物館展―芸術と人間」(1991年)など。
1991年からは山口県立萩美術館の設立準備に着手し、1996年の開館から館長に就任。館長としての業務に従事する一方、自ら展覧会場に立ち、来場者に作品を観ることの楽しさを伝えながら、議論をおこなうための場所づくりに取り組む。
萩美術館で別館設立への筋道を立てた後、2007年4月にYCAMの館長に就任。館内外のさまざまな行事や会議に参加し、YCAMのアピールをおこなうとともに、スタッフからのさまざまな相談に乗る精神的支柱の役割を果たす。館長席から目まぐるしく動き回るスタッフたちを見守りながら、それぞれがボトムアップ的にやりがいや生きがいを見つけ、互いに才能を伸ばしあえるようパワーを送っている。
2007年4月〜2023年7月