わたしとYCAM
大きなクエスチョン
「外見、文化、何もかもが違う私達が、何故惹き合うのか?」と彼は言った。
彼とは、カナダを代表する振付家/ダンサーであるポール=アンドレ・フォルティエ。出逢いは2006年のYCAM。彼の公演『Solo 30×30』は、世界の5都市を巡り、それぞれの街を舞台に30日間、毎日30分のダンスを行うという壮大なプロジェクトであった。僕は山口での全日程に密着し、記録撮影を担当した。兎に角暑い夏で、困難の度に、彼が「アートの為なら…」と呟いて挑む姿を見た。以来このフレーズは苦難に臨む時の、僕の心の呪文となった。地域に飛び出した、難解なパフォーマンス・アートは30日間をかけて、顰めた眉と困惑を、笑顔と尊敬、称賛へと変えた。人々から「ポールさんっ!」と呼ばれ、受け入れられていく光景に、YCAMの理想的未来像を一瞬垣間見たと感じたことを今でも憶えている。YCAMについての思い出の中でもひと際印象深い、開館3年目のエピソードである。以来、ポール=アンドレとの交流は続いていて、前出の彼の問いかけも、つい先日の事だ。返答に窮する僕に、彼は「これはとても大きなクエスチョン。答えは必要ないよ」と微笑んだ。
僕の映像制作は独学であるが、20年前に映像作家を名乗った初っ端から、ナン・ゴールディンやヨーク・ガイスマールといった世界のアーティスト達を、地方に居ながらにして撮影できる幸運に与った。アートという入り口から、しかも我流で映像の世界に足を踏み入れた事は、その後に大きく影響した。作家に寄り添い、場を乱さず記録する僕のスタイルは、繊細な彼らと時を共にしながら体得したものだ。当時、実績も無く、最先端メディアアートや舞台芸術とは余程縁遠かった僕がYCAMに関われた理由は、唯この一点であったかも知れない。そして、YCAMの恐ろしく暗かったり(照明的な意味です)、音にシビアだったり、そもそも予測不能であったりする極端に特殊、且つ多種多様な現場で磨かせて頂いたスキルは僕の財産である。YCAM開館準備室時から今日まで、永くてあっという間の年月だった。
最近では、新作映画を制作する「YCAM Film Factory」シリーズ中、濃く関わらせて頂いた三宅唱監督の一連のプロジェクトは取り分け興味深かった。普段、一般の方を如何に自然に撮るかに腐心している僕は、三宅監督の、演者と丁寧に、信じるに足るシーンを創り上げていく優しい、粘り強い演出に、殊更心を打たれた。「映画は発見の連続」という監督の言葉が心に残る。「人生は~」と言い換えても通じる得心の視点だ。映画と言えば、2013年のYCAM10周年記念祭で坂本龍一氏がアーティスティック・ディレクターを務めた際、映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』の撮影で同行されていたスティーブン・ノムラ・シブル監督との出逢いもあった。残念ながらYCAMでの撮影分が本編に入ることは無かったが、個人的にはその後の交流の中でシブル監督に背中を押して頂き、遂に念願の映画制作に乗り出す事が出来た。これもまた、YCAMが取り持ってくれた素敵な縁である。
尽きない思い出を巡らしながら…冒頭の「大きなクエスチョン」の答えになるかは自信がないが…各々の「アートへの想い」を抱いてYCAMの元に集い、時空を共にした者同士には、他では得難い、特別な結び付きが生まれている様に思い至った。
プロフィール
1971年山口県萩市生。山口市在住。映像インスタレーション作品を制作する一方、TV-CMの演 出等も手掛ける。2002年個展「私画像」展(アスピラート「switch」/ 防府市)を行う。また、 2001年山口きらら博では、山口市館のショーための映像を制作。